四月:桜餅 | 西・道明寺 vs 東・長命寺 東西桜餅ヒストリー

寺に縁が深い東西の桜餅

桜の季節になると登場するのが、桜餅。全国共通の和菓子と思いきや、実は東西で姿や素材が異なり、どちらも寺に縁を持つエピソードがあります。

発祥については諸説ありますが、長命寺(東京都墨田区)で門番をしていた新六さんが、桜の並木を前に「桜葉の良い利用法がないものか」と考え、塩漬けにしたのをきっかけに、桜餅が作られたと伝えられています。

それは小麦粉を使って焼いた薄いクレープのような生地で餡を巻き、さらに塩漬けにした桜葉で包んだもので、現在も作り続けられている界隈の名物。その発祥の地にちなみ、長命寺餅とも呼ばれています。

一方、関西では桜餅は天和三年(1683年)に京都で作られている記述が文献に残っています。関西の桜餅は、道明寺粉というもち粉を使った粉で作った生地で、餡を包んだもので関東風とはまた違った味わい。この道明寺粉も、寺に関わりがあります。

東京では2種類の桜餅を店頭に並べ、関西風の桜餅を<道明寺桜餅>として販売しているところも。東西の桜餅を食べ比べてみるのも楽しいものです。

豊臣秀吉も食した道明寺糒

関西風の桜餅に欠かせない道明寺粉は、もち米を蒸して干し、乾燥させてから粗く砕いたもので、道明寺で作られている<道明寺糒(ほしい)>が起源といわれています。

菅原道真が筑紫に左遷された時、この寺に住んでいた叔母が菅原道真の無事を祈って毎日陰膳(旅などに出た人の無事を祈り供える食膳)を供え、そのお下がりを食べた人々の病が治るなどと評判となり、授与するようになったのが始まりと伝えられています。

当時、身分の高い人々のご飯はもち米だったため、庶民には手に入らない贅沢品だったのでしょう。陰膳のご飯を天日で干し、石臼で挽いて作る<道明寺糒(ほしい)>は、その後あらかじめ作って貯蔵し、天皇家や将軍家にも献納され、明治以降は一般にも販売するようになりました。

包みに書かれた<ほしいひ>の文字は豊臣秀吉の文字で、かつて貴人のための食材だったことをしのばせます。現在も<道明寺糒(ほしい)>は境内で販売されており、天下人のお気に入りを味わうことができます。

お湯で蒸らして手軽に食べられるため和菓子作りにはもちろん、かぶら蒸に入れたり、揚げ物の衣としても便利な<道明寺糒(ほしい)>。
道明寺 http://www.domyoji.jp