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日本の古代を築いた人びと

歴史の記録はどうしても中央の情勢が主体となりがちですが、
それぞれの地域で独自の展開があり、また中央との密接な関係を窺わせるものもありました。
今年度は、日本古代史上の有名な人物の足跡を辿り、
畿内に所在した朝廷と各地域との関係を追ってみたいと思います。

 
Vol.7

藤原宇合

 前回取り上げた県犬養橘三千代の夫・藤原不比等は、大宝律令と養老律令の制定に関わり、古代律令国家樹立の功労者として知られている。その不比等には、三千代以外の妻との間に儲けた四人の男子がいた。武智麻呂・房前(ふささき)・宇合(うまかい)・麻呂で、それぞれの家が、南家・北家・式家・京家と呼ばれる。天武9年(680)生まれの武智麻呂と房前、持統8年(694)生まれの宇合と麻呂は、いわゆる「年子」であるが、母親はそれぞれ異なる。ただ房前と宇合は、13歳の開きがあるものの、母は同じ蘇我(石川)娼子と伝えられる。第三子にあたる宇合は、霊亀2年(716)、二人の兄よりも若年にして五位の位に昇る。これは、同年宇合が遣唐副使に任ぜられたことによる特授で、翌年入唐する運びとなる。

 帰朝後、養老3年(719)に、常陸の国守に加えて、按察使(あぜち)として安房・下総・上総の三国を管轄し、神亀元年(724)に起こった蝦夷の反乱の際には、式部卿の職にありながら持節大将軍として遠征、鎮圧にあたり、その功で翌年従三位に昇叙される。当時は藤原不比等薨去後の長屋王政権の時代であったが、神亀元年に即位した聖武天皇の下で宇合は、知造難波宮事に任ぜられ、難波宮の整備を担当する。

 神亀6年2月10日、有名な長屋王の変が勃発する。漆部君足(ぬりべのきみたり)・中臣宮處東人(なかとみのみやこのあづまひと)の密告を受け、宇合は六衛府の兵士を率いて長屋王邸を取り囲む。翌11日、兄の中納言・藤原武智麻呂が舎人親王等と共に長屋王を窮問し、その翌日には、長屋王、室である吉備内親王、さらにその所生の膳夫王(かしわでおう)らが自尽することになる。この一件については、長屋王の存在により藤原氏の政治的地位が危うくなることを恐れた藤原四子による陰謀と言われ、事件後その全てが議政官となり政務を主導する、いわゆる藤原四子政権が成立した。

 ここで改めて異変の経緯を見れば、密告を受け即座に反応したのは宇合一人で、武智麻呂は他の議政官と共に窮問に訪れたに過ぎず、房前や麻呂に至っては、全く行動の痕跡が見られない。式部卿の地位が関係した可能性もあるが、聖武天皇の判断を仰いで宇合が行動に移したとすれば、それだけ、聖武天皇と通じる立場にあったことが想定される。年齢的には、武智麻呂・房前の二人は聖武天皇より20歳程年上の「親世代」であり、7歳上の宇合が、天皇や、その妃で異母妹にあたる光明子と意思の疎通を図りやすい存在であったのかも知れない。

 天平3年(731)参議となった宇合は畿内副惣管となり、翌年には西海道節度使として九州に赴き、西国警備のための警固式を作成する。その後、同9年に、当時流行していた天然痘に罹患し、既に亡くなっていた三兄弟に次いで、参議・式部卿・大宰帥として薨去するに至る。宇合の経歴を見れば、その家系が式家と称されるように、式部卿の地位を長く保っただけでなく、文官として一般行政に重要な役割を果たすと共に、遣唐副使という外交官の経験もあり、さらには、蝦夷騒乱時の陸奥遠征や西海道の軍制整備といった武官的功績も多く、加えて、難波宮の造営に携わるなど、多方面で活躍した有能な官吏であり、聖武天皇の信任も厚かったことが推察される。

 父・宇合の薨去により従五位下に叙された長男の広嗣は、式部少輔の任に在り、天平10年大養徳守(やまとのかみ)となるが、程なく大宰少弐として西海道に赴き、その二年後に、重用されていた玄昉と吉備真備の排斥を求めて挙兵する。この藤原広嗣の乱に際して発せられた聖武天皇の詔に依れば、広嗣は若年より凶悪で、宇合も彼を疎んじていたが、親族を讒乱するに至ったことで、大宰府に左遷したとされる。しかしそれでは、広嗣が宇合と同じ式部省の役職にあり、さらに大養徳守という、宮都が所在する国の国守に補任された意味が理解できないことになる。

 讒乱した親族が具体的に誰を指すのかという点にも興味がひかれるが、その大養徳守在任時に、かつて長屋王に仕えていた大伴子虫という下級官人が、長屋王の謀反を密告した中臣宮處東人と囲碁を打っているときに出た話から、怒りを発して東人を斬り殺すという事件が起こっている。この事件をきっかけに、長屋王の冤罪が確認されたとすれば、異変勃発時の宇合の反応に鑑みて、何某かの批判が広嗣をして親族の讒乱という行動に至らしめた可能性も考えられるが、憶測の域を出ない。

文学部

本郷 真紹特命教授

専門分野:日本古代史

主たる研究課題は、7~9世紀の日本古代律令国家の宗教政策、地域における宗教交渉過程(仏教と神祇信仰の関係)、古代宗教制度の史的意義、古代王権の宗教的性格 ほか。