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神と仏と古代日本

このシリーズでは、在来の神々に対する信仰(神祇信仰)が存在した日本の古代社会に、どのような過程で外来の宗教である仏教が受け容れられ、それぞれの段階における特色が形成されたのか、歴史的な意義について考えます。

 
Vol.1

会報2026年 春号掲載
【新シリーズ】
神々の信仰と祭主の誕生

 明治元年(1868)3月、維新政府は神仏判然令を発し、神社から仏教関係のものを一切排除し、権現など神仏習合を反映した名称の使用を禁止した。社会では廃仏毀釈という仏教弾圧運動が巻き起こったが、この政治的な動きが生じるまで、奈良時代以後、神と仏は共に人々の崇拝の対象とされ、両者の習合も受け容れられた。その名残で、今なお神社と寺院双方に参詣することに違和感を覚えず、両者のお守りを区別なく身に付けることに抵抗を感じない。また歴史のある家屋では、神棚と仏壇が共に配置される例も少なくない。

 神社に祭られる神の多くは日本社会で培われた伝統的な信仰に基づくものであるのに対し、寺院の仏・菩薩等はインド起原の外来の信仰として渡来したものである。現在では、いずれも宗教として把握され、信者の団体は宗教法人の扱いを受けている。多くの人々は、いずれかを選んで信仰し他方を忌避する、或いは排除するといった方向をとらない。むしろ、双方共に祈願の対象として受け止めているのが一般である。

 もともと神々に対する伝統的な信仰は、成文化された教義を有していないため、仏典に多様な教義の説かれた仏教と単純に比較することは難しい。現在では然るべき教義を有する神々の信仰もあるが、仏教の信仰が社会に受け容れられる過程で、その影響等を受けて教義が形成されている。では、仏教伝来以前の段階で、どのような経緯で神々の存在が意識されるようになったのか。

 自然の威力には、科学の発展した今日でも人為的に如何ともしがたい部分が大きい。古来自然は、生命の根源とも言える存在で、人々の生活に恵みをもたらすものであると同時に、人々を迫害し、生命の維持に脅威ともなる存在である。頻繁に自然の災害が報じられるように、その脅威を根絶することは不可能で、可能な限りの防御や対応の措置を講じるしかできない。そのような対象を人々は神として把握し、意思の疎通を図ろうとした。

 通信を行う場合、自然にも人々と同等の機能を有することが求められる。その結果、さまざまな自然の要素には、風神や雷神のようにそれ自体が擬人的なイメージで捉えられたものもあれば、神聖視された山や特定の地点など、神の霊が拠りつく所として崇められる例も現れた。それぞれの神は個性をもち、その力は畏怖すべき対象であるため、何人でも親しく接することは出来ず、特殊な力を持つ人だけが神と通信する資格を有すると考えられた。

 祭主となった人物は日常的に神を祭ることを任務とし、祭主を通じて人々は神の意向を伺いその命に順うと共に、人々の願いを聞き入れて貰うように努めた。こうして祭主自身が神聖視されて崇敬の対象となり、集団の指導者としての地位を得ることになる。祭主であった卑弥呼は、邪馬台国の女王から、日本列島に所在する三十余国の連合体の首長として、『魏志』倭人伝にその名をとどめることになるのである。

文学部

本郷 真紹特命教授

専門分野:日本古代史

主たる研究課題は、7~9世紀の日本古代律令国家の宗教政策、地域における宗教交渉過程(仏教と神祇信仰の関係)、古代宗教制度の史的意義、古代王権の宗教的性格 ほか。