1. ホーム
  2.  > 
  3. 『日本霊異記』の世界
  4.  > 
  5. Vol.3

『日本霊異記』の世界

平安時代の初めに成立した『日本霊異記』は、薬師寺の景戒という僧侶が著した仏教説話集で、上中下の三巻からなり、それぞれの序文と共に、合わせて116の説話が収められています。仏教に関する内容のものが大半で、荒唐無稽の奇瑞譚も含まれますが、そこには今日、本書でしか知り得ない各地の社会の様子が窺われ、極めて貴重で興味深い史料と言えます。本シリーズでは、改めてこの『日本霊異記』の説話から、古代の日本を探ってみたいと思います。

 
Vol.3

続・牛にまつわる話

 『日本霊異記』に見える牛にまつわる話の多くは、牛への転生を取り上げたものである。

 大和国添上郡の椋(くら)氏の家長が、一人の禅師を招いて悔過(けか、罪を懺悔する法会)を催した。禅師が提供された掛け布団を持ち逃げしようとしたところ、その布団を盗んではいけないという声がする。見ると倉の下に一頭の牛が立っていて、禅師に語りかけた。
 自分は家長の父で、生前わが子の稲を十束取って他人に与えた。それで、牛の身を受けて償いをしている。嘘と思うなら、私のために座を設けよ。そこに座るであろう。
 明朝、法会を終えて家長と親族にその事を告げた。家長が牛の横に座を設けると、牛は膝をかがめて座の上に伏せた。一同号泣し、間違いなく亡くなった父であるとして、免罪を告げた。牛は涙を流して大きく息をつき、その日に死去した。

 これは上巻の第十縁であるが、中巻の第十五縁にも、同じような話が見えている。

 伊賀国山田郡の髙橋東人という富豪が、亡母のために法華経を写経し、法会を催そうとした。この時近くを通りがかり招請された乞食の僧が寝ていると、その夢に一頭の赤い牝牛が現れ、次のように告げた。
 私は東人の母である。この家に赤い牝牛がいる。私は前世で子の物を盗んだ。それで今、牛の身を受けて償っている。疑うなら、説法を行う堂の裏に座を敷いてみよ。私はそこに上がるであろう。
 夢のことを東人に告げると、東人は座を敷き牝牛を連れてきた。すると牝牛は座に伏した。東人は涙を流し、まさに私の母である、その罪をお許しすると言った。牝牛は大きく息をつき、法会が終わると亡くなった。

 親とはいえ子の物を勝手に用いると、牛に生まれ変わり、その子のもとで働いて返すことになるというのは、今日では考えがたく、古代社会ならではの価値観を反映する事例として非常に興味深い。親子関係以外でも、牛が前世の負債を償う例として次のような話が見える。

 延興寺の僧・恵釈は、生前湯を沸かす薪一束を、勝手に他人に与えて死んだ。その寺にいた一頭の牝牛が仔牛を産んだ。成長した仔牛は、薪を運搬する車の牽引にこき使われていたが、ある時見知らぬ僧が寺の門のところで、恵釈は涅槃経はうまく読めるが、車を引くことはできない、と語った。牛は涙を流してすぐに亡くなった。実は、その僧は観音菩薩の化身であった。

 上巻第二十縁の説話である。同じように、中巻第三十二縁にも、寺の物を流用した話が登場する。

 聖武天皇の時代、紀伊国名草郡の薬王寺に、斑の仔牛がいた。仔牛は薬王寺の塔のところでいつも伏せっており、寺の人がいくら追い出しても、必ず戻ってきた。所有者が分からず、寺で繋ぎ飼うことになり、大きくなって寺の用途に駆使された。5年を経て、この寺の檀越(だんおつ、寺の後援者)岡田石人の夢にこの牛が現れ,石人を追って突き倒し、足で踏みつけ、次のように語った。
 自分は桜村にいた物部麿で、寺の薬用の酒を2斗借りたまま返さずに死んだ。それで今、牛の身を受けて償っている。年季は8年、つまりあと3年働かねばならないが、寺の人は無慈悲で、背中をぶってこき使う。苦痛甚だしく、檀越のあなたにお願いしているのだ。
 麿は真偽を確かめ、寺の僧と共に牛を憐れんで経を読んだ。8年経つと、牛は何処ともなく消え失せた。

 前世で負債を残して亡くなると、畜生道に墜ちて牛に生まれ変わり、その負債の分だけ労役に服することになる。悪業の報いとして、地獄・餓鬼・畜生の三悪道の一つである畜生道に転生するという仏教の輪廻の思想を反映した顛末で、畜生の中でも牛への転生が取り上げられるほど、動力として牛に依存していた様子が見て取られよう。

文学部

本郷 真紹特命教授

専門分野:日本古代史

主たる研究課題は、7~9世紀の日本古代律令国家の宗教政策、地域における宗教交渉過程(仏教と神祇信仰の関係)、古代宗教制度の史的意義、古代王権の宗教的性格 ほか。