
平安時代の初めに成立した『日本霊異記』は、薬師寺の景戒という僧侶が著した仏教説話集で、上中下の三巻からなり、それぞれの序文と共に、合わせて116の説話が収められています。仏教に関する内容のものが大半で、荒唐無稽の奇瑞譚も含まれますが、そこには今日、本書でしか知り得ない各地の社会の様子が窺われ、極めて貴重で興味深い史料と言えます。本シリーズでは、改めてこの『日本霊異記』の説話から、古代の日本を探ってみたいと思います。
行基の建立した富(とみ、登美)の尼寺(隆福尼寺、現・奈良市大和田町の辺り)の尼の娘・置染鯛女(おきそめのたいめ)が山菜をとっていたところ、大蛇が蛙を飲み込む場面に出くわした。鯛女は蛙を放す代償として自身が蛇の妻となろうと申し出、7日後の再開を約した。その日、鯛女は恐れて蛇が家に入るのを防ぎ、翌日生馬(生駒)の山寺にいた行基に経緯を話した。
行基の教えに従い、五つの戒律を受けて戻る途上、鯛女は蟹をもつ見知らぬ老人に出会う。老人は画問邇麻呂(えどいのにまろ)と名乗り、難波で手に入れた蟹を約束した人に譲るのだという。鯛女は来ていた服を老人に与えて蟹を貰い受け、行基のところに戻って呪願し、蟹を解き放った。
その日の夜、蛇が再びやって来た。鯛女は家の中で震えていたが、外でばたばたと音がする。翌日外を見ると、大きな蟹がいて、大蛇をずたずたに切り刻んでいた。蟹が放生の恩に報いたのであり、受戒の効果が現れたのだ。老人の身元を探るがそんな人物は存在せず、聖人の化身と分かった。
『日本霊異記』中巻第8縁の内容であるが、全く同じモチーフが第12縁にも見受けられる。山背国紀伊郡(現・京都市の東部と南部)に女人がいて、十の戒律を守っていた。その地の牧童が川で8匹の蟹を捕まえ、焼いて食べようとした。それを見た女人は、衣服を脱ぎ与えて蟹を譲り受け、禅師を招き呪願して解き放った。その後、山で大きな蛙を飲む大蛇に出くわした。大蛇を大神として奉祭すると申し出るが聞き入れられず、私があなたの妻となろうと告げると、大蛇はようやく承諾して蟹を吐き出し、7日後に大蛇を家に招くことになった。
同郡にいた行基に相談すると、行基は専ら三宝を信仰するばかりであると言う。約束の日、家を閉め切って身を固め、三宝に祈願していると、やって来た大蛇は家に纏わり付き、屋根を破って女人の前に落ちた。大きな音を立てて動き回っていたが、女人に寄りつくことはなかった。翌日見れば、大きな蟹が8匹集まって、大蛇を幾条にも切り刻んでいた。まさに助けた蟹が恩に報いたのである。
一方で、第41縁では、いささか異なった展開が見られる。天平宝字3年(759)、河内国更荒郡(さららぐん、現・大阪府四條畷市、大東市)で桑の木に登った女子に大蛇が絡みついた。女子が驚いて木から落ちると、大蛇は女子を犯した。両親が蛇を引き離して殺し、女子の体内から蛇の体液を拭い落とした。三年後、女子は再び蛇と交わったが、蛇に愛情を懐いた女子は、生まれ変わっても蛇の妻となろう、と言い残して死んだ。この縁では、蛇と女子の結婚が実現したとされるが、前掲のように蛇の横暴といったニュアンスは窺われず、むしろこれは女子の宿業(運命)として語られる。
ここで想起されるのは、『日本書紀』崇神紀に見られる大和国大神神社(おおみわじんじゃ、現・奈良県桜井市)の祭神である大物主神(おおものぬしのかみ)と、孝元天皇(『古事記』では孝霊天皇)の皇女・倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)との結婚で、夜のみ訪れる夫の容姿を見たいと懇請した皇女が夫の指示通りに櫛笥(くしげ)を開けてみたところ、夫は小さな蛇と分かり、驚いたという。今日でも、大神神社の祭神は蛇の姿で現れるとして、祭壇に卵が供えられる。
蛇は神と受け止められ、畏敬の対象となり、また上記のような神婚譚が伝えられた。蛇が恐れられた存在であると同時に、人間の女性との結婚を望んだという説話も、このような伝統的な観念を反映したものと言えようが、第41縁では、蛇と人間との結婚も宿業すなわち前世の因縁によるものという仏教的価値観を反映して解釈されている点、興味深いものがあろう。
文学部
本郷 真紹特命教授
専門分野:日本古代史
主たる研究課題は、7~9世紀の日本古代律令国家の宗教政策、地域における宗教交渉過程(仏教と神祇信仰の関係)、古代宗教制度の史的意義、古代王権の宗教的性格 ほか。