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『日本霊異記』の世界

平安時代の初めに成立した『日本霊異記』は、薬師寺の景戒という僧侶が著した仏教説話集で、上中下の三巻からなり、それぞれの序文と共に、合わせて116の説話が収められています。仏教に関する内容のものが大半で、荒唐無稽の奇瑞譚も含まれますが、そこには今日、本書でしか知り得ない各地の社会の様子が窺われ、極めて貴重で興味深い史料と言えます。本シリーズでは、改めてこの『日本霊異記』の説話から、古代の日本を探ってみたいと思います。

 
Vol.5

会報2025年 夏号掲載
亀にまつわる縁

 むかしむかし浦島は 助けた亀に連れられて
竜宮城へ来てみれば 絵にも描けない美しさ

 文部省唱歌として知られるこの歌は、明治時代に作られた。浜で子供たちにいじめられていた亀を浦島太郎が買い取って海に放したというおとぎ話は、かつての国定教科書に掲載された。この浦島太郎をめぐる話は、8世紀に成立した『丹後国風土記』や『日本書紀』に既に見られるのであるが、若干モチーフは異なっている。

 雄略天皇の時代、丹後国与謝(よさ)郡の浦島子という人物が小舟で漁に出、三日三晩魚が釣れずにいる中、五色の亀を捕獲する。すると亀は美しい女性に身を変え、浦島子は蓬山(蓬莱山)という大きな島に導かれる。この蓬山とは海中にあると伝える神仙境で、そこで女性と結婚し生活を送っていた浦島子が両親に会うために故郷に戻ると、既に三百年が経過していた。途方に暮れた浦島子が女性に託された玉くしげを開けると、姿は消え失せ天に飛んで行ってしまう。

 中世に成立した御伽草子(おとぎぞうし)では、浦島太郎が亀を捕獲するのでなく助けるという筋に変わっているが、子供たちにいじめられた亀でなく、太郎自身が釣り上げた亀を海に逃がすと、その亀が女性に身を変じて訪れ、太郎を竜宮城に誘い夫婦となって生活することになる。あとはほぼ同じモチーフであるが、解き放たれたという点では、既に奈良時代に同類の説話の存在したことが、『日本霊異記』上巻第7縁より窺い知られる。

 660年に唐・新羅により滅ぼされた百済の復興を支援するため、朝鮮半島に渡った備後国三谷郡(現・広島県三次市)の郡司の先祖が、無事生還した暁に諸神祇のために寺院を建立すると発願し、帰国後三谷寺を建立した。その創建に関わった百済人の弘済(ぐさい)禅師が仏像の製作のため上京して金丹を求め、帰路難波の津で売られていた大亀4匹を購入し、海に解き放った。

 船で備後に向かっていたところ、備前の骨島(かばねしま)の辺りで船頭が随行していた童子二人を海に投げ入れ、禅師にも入水を強要した。腰の辺りまで海面が及んだところで、禅師の足に石のようなものが当たった。それは命を救った亀で、備中の辺りに禅師を送り届け、三度頭を下げて去って行った。奪った金丹を三谷寺に売りに来た盗賊は捕らえられたが、禅師は彼等を赦し、仏像を製作して供養した。その後、禅師は海辺で人びとに教えを説いて過ごしたという。

 諸神祇のために寺院を建立するというのは、神祇信仰と仏教の融合が進んだ奈良時代の観念を反映するもので、亀の解放と合わせて、境内に神宮寺である弥勒寺が建てられ、生き物を解き放つ放生会(ほうじょうえ)が修された豊前・宇佐の八幡神社に共通する要素が認められる。神仙境・蓬山(蓬莱山)という中国の伝統的思想が反映された説話に、仏教の殺生禁断・放生の思想が加わり、中世の浦島太郎説話が形成されたと見なされよう。

文学部

本郷 真紹特命教授

専門分野:日本古代史

主たる研究課題は、7~9世紀の日本古代律令国家の宗教政策、地域における宗教交渉過程(仏教と神祇信仰の関係)、古代宗教制度の史的意義、古代王権の宗教的性格 ほか。