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『日本霊異記』の世界

平安時代の初めに成立した『日本霊異記』は、薬師寺の景戒という僧侶が著した仏教説話集で、上中下の三巻からなり、それぞれの序文と共に、合わせて116の説話が収められています。仏教に関する内容のものが大半で、荒唐無稽の奇瑞譚も含まれますが、そこには今日、本書でしか知り得ない各地の社会の様子が窺われ、極めて貴重で興味深い史料と言えます。本シリーズでは、改めてこの『日本霊異記』の説話から、古代の日本を探ってみたいと思います。

 
Vol.9

会報2025年 冬号掲載
魚にまつわる縁

 殺生は仏教で最も戒められた行為で、俗人が守るべき五つの戒(五戒)、出家を志す俗人がさらに三つの戒めを加えた八斎戒、そして出家した沙弥・沙弥尼が持すべき十戒のいずれにおいても、その筆頭に挙げられた。川や海に棲息する魚も当然その対象に含まれ、漁撈で殺生を犯したために災難に遭った話が『日本霊異記』に登場する。

 播磨国飾磨(しかま)郡(現・兵庫県姫路市周辺)で幼時から漁撈に従事していた漁夫が、桑畑で身体が炎に包まれようとしていると訴えて、濃於(のお)寺に来ていた元興寺僧の慈応という高僧に救いを求めた。慈応が唱える呪文により袴のみ焼けて命は救われ、以後は懺悔して殺生を慎んだという(上巻第11縁)。高僧の法力により殺生の罪を免れたという話だが、自身の祈願で救われたとする話も見える。

 大和国高市郡波多(現・奈良県明日香村)の呉原妹丸(くれはらのいもまろ)は、やはり幼時より漁撈を生業としていたが、延暦2年(783)紀伊国海部(あま)郡(現・和歌山県海草郡)の伊波多岐(いはたき)島(現・友ヶ島か)と淡路島の間で漁をしていると大風が吹き、9人の漁師のうち8人は溺死して妹丸だけが海に漂った。妹丸が妙見菩薩に祈願し、自身と同じ身長の仏像を造ることを約束したところ、蚊田浦(現・和歌山市加太)に打ち上げられ、命が救われた。妹丸は約束通り等身の菩薩像を作り崇敬した(下巻第32縁)。

 一方で、厳格であるはずの殺生禁断の戒めからして、いささか理解に苦しむ話もある。
 吉野山の山寺に住み修行していた僧は、身体が疲れ果てて起き上がれなくなり、弟子の童子に「魚を食べたいので、買ってきて欲しい」と頼んだ。童子は紀伊国の海辺で新鮮な鯔(ぼら)を8尾買い、持ち帰る途上、寺の檀越3人に出会った。檀越が「何を持っているのか」と尋ねると、童子は「法華経です」と答えたが、持っていた小櫃から魚の汁が垂れて生臭いにおいがする。大和国の市のところで、檀越は「お前の持っている物は経典ではなく魚だろう」と言い、小櫃を開けるように強く迫った。

 拒むことが出来ずに開くと、8尾の鯔は8巻の法華経に変わっていた。檀越は仕方なくその場を退いたが、3人の内の1人がなお怪しみ、ひそかに童子の後をつけた。童子が山寺で事の経緯を僧に話すと、僧は怪しみながらも喜び、諸天の加護と感謝して鯔を口にした。この様子を見ていた檀越は、体を地に投げて謝罪し、僧に語った。
「本当は魚でも聖人が食される場合は法華経に変化するのですね、因果の道理を知らずに童子を責め立てました。どうぞお許し下さい。以後はわが師としてあなたを敬い、供養致します。」

 『日本霊異記』の著者である景戒は、下巻第6縁のこの奇譚について、仏法の興隆につながるものであれば、毒物を食べても甘露となり、魚を食べても犯罪とはならないのだ、と解説する。道理は分からぬではないが、都合のよい解釈としか受け止められないのは、修養が足りないせいであろうか。

文学部

本郷 真紹特命教授

専門分野:日本古代史

主たる研究課題は、7~9世紀の日本古代律令国家の宗教政策、地域における宗教交渉過程(仏教と神祇信仰の関係)、古代宗教制度の史的意義、古代王権の宗教的性格 ほか。