平安時代の初めに成立した『日本霊異記』は、薬師寺の景戒という僧侶が著した仏教説話集で、上中下の三巻からなり、それぞれの序文と共に、合わせて116の説話が収められています。仏教に関する内容のものが大半で、荒唐無稽の奇瑞譚も含まれますが、そこには今日、本書でしか知り得ない各地の社会の様子が窺われ、極めて貴重で興味深い史料と言えます。本シリーズでは、改めてこの『日本霊異記』の説話から、古代の日本を探ってみたいと思います。
前回の囲碁にまつわる縁に見られたように、『日本霊異記』には多くの乞食(こつじき)が登場する。乞食と表記しても、一般的な「物乞い」と同義でなく、出家者が仏道修行に専念すべく生活の糧の提供を俗人に求めることから、「食を乞う」人びとと称された。本来の修行者の有り様である、世俗的な富を放棄し我欲を捨てようと努める姿勢で、身形に拘らず粗末な衣服を身につけ生活していた。そのため、高貴な身分の人びとからは忌み嫌われ、時として迫害の対象となった。そのことを伝える説話が複数見受けられる。
平城遷都以前の飛鳥京もしくは藤原京の時代に、信仰心を持たないある男が乞食する僧を見て殴りつけようとした。僧は水田に逃げ入ったが、男はなおも僧を追って捕まえようとする。しかたなく僧が男を呪縛すると、男は発狂して走り回った。男の二人の子の依頼で禅師がその呪縛を解き、男は以後反省して信仰心を持つようになった(上巻第15縁)。
備中国小田郡(現・岡山県南西部)の白髪部猪丸(しらがべのいまろ)は、邪見で信仰心を持たなかった。時に一人の僧がやって来て食を乞うたが、猪丸は僧を迫害し、僧が持っていた鉢を割って追い返した。その報いで、他の郷に赴く途中、雨宿りした倉が倒壊し、猪丸は圧死したという(上巻第29縁)。
平城京の佐紀村(現・奈良市佐紀町)に住む犬養真老(いぬかいのまおゆ)は邪見な人物で、乞食を酷く嫌っていた。称徳天皇の時代に、一人の僧が真老の家の門で食を乞うたところ、真老は僧の袈裟を奪い取って迫害し、その身元を尋ねた。自度(公認されていない出家者)であると僧が答えると、真老は更に殴打し、僧は恨みをもって去った。その後、煮た鯉を食した真老は口から黒い血を吐いて倒れ、そのまま死去した。「邪見は身を切る剣、怒りは禍を招く疾鬼で、貪欲は慈悲の心を奪い餓鬼の身とならしめるので、乞食には惜しまず施しをすべきである」と説く(下巻第15縁)。
古代史上の著名な人物についても、同類の応報譚が見られる。
天平元年(729)2月に元興寺で法要が営まれた時、太政大臣(正確には左大臣)長屋王が僧たちへの食の提供を担当した。一人の沙弥がいて、鉢を捧げて飯を受けた。長屋王はこれを見て、牙笏で沙弥の頭を打った。沙弥は頭から流れる血を拭いながら、恨めしく泣いて消え失せた。法要に居合わせた人々は「縁起が良くない」と噂したが、その二日後に長屋王の謀反を讒言する人が現れ、兵で宅を囲まれた長屋王は自死するに至った(中巻第1縁)。
長屋王の変にまつわる伝承で、その契機が沙弥への迫害とされている。沙弥は受戒前の出家者を意味し、遠慮なく食を乞うたことが分を弁えない行為と見なされたのであろうが、牙笏で頭を打って流血させたのは明らかに行き過ぎで、その結果身を滅ぼすことになったという。とりわけこの縁で、「袈裟を着た人は、たとえ身形が賎しくとも蔑んではいけない、なぜならその中に身を隠した聖人も交じっているからで、彼等を侮った罪は極めて深い」と説かれている点に注目される。
聖徳太子の徳を称える説話として有名な片岡飢者にまつわる話が上巻の第4縁である。岡本宮から遊覧に出掛けた太子が、片岡村(現・奈良県王寺町の辺り)で出会った病気の乞食に着ていた衣を脱いで着せかける。遊覧を終えて戻ってきたところ、乞食の姿はなく、与えた衣が木の枝に掛けてあった。穢れた衣を着することを諫める臣下を制して、太子は再び衣を身に纏う。その後、乞食が他の場所で亡くなったと聞き、太子は墓を作って遺体を収めさせたが、後に使者が墓に行くと、墓の口は閉じているのに遺体はなく、太子に感謝する歌が墓の戸に残されていた。「まさに知られるのは、一般の人には賎しく見えても、聖人にはその神通力で同じ聖人の隠身と判別できるということだ」と説かれる。
身形だけで人を判断してはいけない、自身の身分や富を誇って他人を蔑んではいけない、怒りの心を起こしてむやみに他人に危害を加えてはならない、等々、様々な教訓が、乞食への迫害に対する報いを通じて示されている。それなりの財産をもち、また伝灯住位という僧の位まで保持していた『日本霊異記』の著者・景戒が、自身に対する戒めとして、これらの類話を著したのかも知れない。
文学部
本郷 真紹特命教授
専門分野:日本古代史
主たる研究課題は、7~9世紀の日本古代律令国家の宗教政策、地域における宗教交渉過程(仏教と神祇信仰の関係)、古代宗教制度の史的意義、古代王権の宗教的性格 ほか。