平安時代の初めに成立した『日本霊異記』は、薬師寺の景戒という僧侶が著した仏教説話集で、上中下の三巻からなり、それぞれの序文と共に、合わせて116の説話が収められています。仏教に関する内容のものが大半で、荒唐無稽の奇瑞譚も含まれますが、そこには今日、本書でしか知り得ない各地の社会の様子が窺われ、極めて貴重で興味深い史料と言えます。本シリーズでは、改めてこの『日本霊異記』の説話から、古代の日本を探ってみたいと思います。
日本古代史の史料には、多くの鬼が登場する。『日本書紀』神代紀では、亡妻・伊弉冉尊(いざなみのみこと)に再会すべく黄泉(よみ)の国を訪れた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が妻の姿に驚いて逃げ戻る途上、追ってきた雷に桃の実を投げつけて撃退するが、これは桃が鬼を避ける力を持つことによると説明される。また、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)は、葦原中国の邪鬼を払い平らげる意向を諸神に示し、のちに天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨することとなる。
多くの場合、鬼と呼ばれるのは、服従しないもの、邪悪なもの、駆逐すべきものであり、攻撃や防御の対象と受け止められたが、同時に、凄まじい力を有し、畏怖すべき対象で、容易に掃滅しがたいものも鬼と見なされ、鬼神などと称された。気軽に慣れ親しめる相手ではない、という点では共通する部分もあり、多様な場面で「鬼」という表記が用いられたのである。
『日本霊異記』にも鬼が登場する。尾張国愛知郡(現・名古屋市)から大和の元興寺に入った、のちの道場法師が、毎夜鐘撞堂で童子を殺害していた鬼を退治する話が上巻第3縁に見える。その鬼は、罪を犯して衢に埋められた悪い奴の霊であったという。また中巻第5縁では、7年の間毎年1頭の牛を殺して漢神を祭っていた摂津国東生郡(ひがしなりぐん、現・大阪市)の富豪が登場するが、この漢神を鬼神とも称している。 鬼神は異国の神だけでなく、役小角が大和の金峯山(きんぷせん)と葛城山の間に橋を架けるのに駆使した眷属も、鬼神と認識された(上巻第28縁)。同様に、後世の地獄絵に見られる如く、閻魔王の眷属として亡者を扱う強力の生き物も鬼の形態で描かれたが、その鬼がこの世にやってきた話が見えている。
平城左京の六条五坊に住む楢磐嶋(ならのいわしま)が、大安寺の銭30貫を借りて越前の敦賀に赴き、交易を行った。帰路、琵琶湖の船上で急に病となり、磐嶋は上陸して馬で帰宅を試みた。3人の鬼が敦賀より彼を追ってきたのでその理由をたずねると、閻魔王の指令で磐嶋を捕まえようとしたところ、大安寺の銭で商いをしているのであるから猶予を与えよと四天王の使者が彼等に告げたため、すぐに連行しなかったのだという。
3人が空腹を訴えたため磐嶋は持っていた干し飯を与え、さらに帰宅してから彼等の要望に応じて牛肉などをご馳走した。その見返りに、磐嶋自身でなく、同年齢の別人を連行すると鬼が申し出る。磐嶋が率川神社(いさがわじんじゃ)の側に住む易者を教えると、3人は接待を受けた罪を免れるために金剛般若経100巻の読経を磐嶋に依頼し、去って行った。磐嶋は90余歳まで生き延びたと伝える(中巻第24縁)。
同様に、次の縁でも閻魔の使者である鬼との遣り取りが見える。讃岐国山田郡(現・香川県木田郡)の布敷衣女(ぬのしきのきぬめ)という女性が病となったところ、閻魔王の使者の鬼がやって来た。鬼は、衣女の家の門の所に置かれた疫神へのお供え物を食す。その結果、衣女より饗応を受けたので、代わりに同姓同名の女性を連行すると告げる。衣女が同国鵜垂郡(うたりぐん、現・香川県丸亀市、坂出市の辺り)に住む別の布敷衣女を教えると、鵜垂郡に向かい、同郡の衣女を連行する。鬼に同行していた山田郡の衣女は、こっそりと自宅に戻った。
鬼の連れて来た衣女が別人であると閻魔王が見抜き、改めて山田郡の衣女の連行を鬼に命じる。解放された鵜垂郡の衣女が家に戻ったところ、既に遺体は荼毘に付されていた。閻魔王は、未だ失われていない山田郡の衣女の肉体をその身とするように措置し、鵜垂郡の衣女は山田郡の衣女として甦った。蘇生した衣女の話から事の経緯を知った2人の衣女の両親は、共に財産を衣女に与えたため、衣女は4人の親と2つの家の財産を得ることになった(中巻第25縁)。
閻魔王の使者の鬼を饗応すれば良いことがある、と『日本霊異記』の著者・景戒は評価するが、同姓同名とはいえ以前と違う肉体で生き長らえるのは、必ずしも幸福とは言えまい。ましてや、磐嶋の身代わりとして連行された率川神社近隣の易者にとっては、とんだ災難どころでは済まされない、極めつけの悲劇的な被害というべきであろう。
文学部
本郷 真紹特命教授
専門分野:日本古代史
主たる研究課題は、7~9世紀の日本古代律令国家の宗教政策、地域における宗教交渉過程(仏教と神祇信仰の関係)、古代宗教制度の史的意義、古代王権の宗教的性格 ほか。