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三都ゆかりの地域の風土記

 
Vol.9

会報2022年 冬号掲載
美濃の狐と尾張の怪力

 薬師寺の僧・景戒が著した日本最古の説話集『日本霊異記』に、美濃国の狐にゆかりの人物と、尾張国の怪力の人物が登場する。

 欽明天皇の時代に、妻を求めて出かけた美濃国大野郡(現・岐阜県揖斐郡大野町の辺り)の男が、美しい女性に出会い、尋ねると、その女性も配偶者となる男性を探しているという。そこで求婚して夫婦となり、一人の男子をもうけた。この頃、男が飼っていた犬も子犬を出産したが、その子犬が女性に馴染まず、いつも歯をむいて吠え立てるので、女性は夫に子犬を始末するように頼んだ。夫が躊躇(ためら)って数ヶ月経過すると、今度は親犬の方が女性に噛みつこうと追いかけ回した。驚き恐れた女性は、狐に姿を変えた。夫は妻の正体を知り、「子供がここにいるので、何時でも来て泊まればよい」と声を掛けた。

 夫の言葉通りに、狐の女性はやって来てこの家に泊まったが、その事から女性を「来つ寝」と呼び、また所生の男子も、岐都祢(きつね)と名付けられた。この子が成長すると、怪力の持ち主で、走るのも鳥が飛ぶように早かったという。

 隣国・尾張の愛知郡(現・名古屋市の辺り)では、欽明天皇から皇位を継いだ敏達天皇の時代に、一人の農夫の前に雷が落ち、小児の姿になった。小児は農夫に子供を授ける事を約束したが、そののち誕生した農夫の子供が十歳余りになった時に、大和の朝廷に強力(ごうりき)の王がいると聞き、力比べをしようと思い立って都に出かけた。そこで、強力の王と石の投げ比べを演じたところ、幾度挑んでも、強力の王はこの男子を打ち負かすことが出来なかった。

 男子は元興寺(飛鳥寺)に入って童子となったが、この寺の鐘撞(かねつき)堂で毎晩人が死ぬので、童子はその犯人をやっつけようと待ち伏せした。深夜に犯人の鬼が現れると、童子は鬼の髪の毛を掴んで引きずり回し、鬼は頭皮を引き剥がされて這々(ほうほう)の体(てい)で逃げ去った。成長して優婆塞(うばそく)(得度前の修行者)となった童子は、元興寺と朝廷の王たちとの間に水争いが生じた際に、百人以上でやっと引けるような巨石を一人で持ち上げて水門を塞ぎ、王たちを屈服させたと伝える。優婆塞はやがて得度し、元興寺の怪力僧・道場法師として知られた。

 美濃国片県(かたかた)郡(現・岐阜県本巣市の辺り)の少川(おがわ)の市に住んでいた三野狐という女性は、上記の狐の女性が産んだ男子の4代目の子孫で、強力で知られ、市で商人を脅かし品物を奪って生活していた。道場法師の孫に当たる、やはり強力の女性がこのことを聞き、少川の市を訪れて三野狐を懲らしめ、屈服させた。この孫娘は尾張国中島郡(現・愛知県稲沢市の辺り)の郡司に嫁いだが、尾張国守に取り上げられた夫の衣を力尽くで取り戻したことから、かえって夫とその父母に疎まれ、離縁されてしまう。その後、川で洗濯をしていた時に通りがかった船頭に冷やかされると、五百人の力でも引き動かせないような船を独力で陸に引き上げ、船頭に謝罪させることになったと言われる。

 美濃や尾張と言えば、大和の朝廷と縁の深い地域で、皇族の生活を支える田地や農民が所在したことが認められる。壬申の乱においても、大海人皇子の吉野方に加勢したのが、この地域の豪族に率いられた兵であった。そのような関係から、当地の逸話が大和でも語り継がれることになったのであろう。

文学部

本郷 真紹教授

専門分野:日本古代史